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【海外ドラマ評論】Black mirror シーズン3 エピソード1の評論 *ネタバレ注意

*まえがき

最近私はひょんなきっかけでBlack mirror という

イギリスの人気テレビドラマを鑑賞する機会がありました。

 

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メインヒロインのレーシャ

 

この作品は2011年から放送され現在ではシーズン6まで続く

近い将来「テクノロジーの進歩」がもたらしうる負の側面と

それと同時に人間が持つ残酷な側面を風刺的に描いた作品である。

 

今回紹介するシーズン3のエピソード1は、

現在進行形で問題になっている人々の他人に対する

「無関心」と「自己肯定感の欠如」など

正に「現代病」などと揶揄されるような現象を描き、

それでも"人間"は「人間らしくある」ことに

固執する生き物であることを暗示するような内容でした。

 

突然ですが皆さんに質問があります。

 

みなさんは「インスタグラム」や「twitter」等のSNSを利用していますか?

 

もし利用しているなら、あなたもこのドラマの世界の登場人物と同じような

価値観で既に行動しているかもしれません!

 

皆さんは本当に"自分の意思で"行動をしていると自信を持って言えますか?

 

*ドラマのあらすじ

 

物語は主人公であるレーシャが

鏡越しに笑顔の練習をしているシーンから始まります。

ドラマで中心的な役割を担うのはスマホを使った"レーティングシステム"

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今作のメインテーマである人々のレーティングシステム

主人公のレーシャは年のあまり離れていない弟と二人暮らし。

弟はゲームばかりし、レーティングシステムのことなぞ気にも留めない様子。

対して主人公のレーシャは自分のレーティングを良くすることに熱中し、

仕事中やランニング中ですらも他人からの評価を気にしているようでした。

 

この二人の対称性が後になって物語に解釈を与えてくれます。

 

主人公の毎日はとにかく忙しく、肩身が狭いように見えます。

というのも、レーシャは常に他人の行動をレーティングし、

自分のレーティングを良くするために、例えばカフェで食べたくもない

クッキーを注文してより高レーティングの人たちに媚びるような投稿をしたり、

エレベーターで会った婦人の投稿を意味もなく誉めそやしたりと、

この世界では"自分の意見を持つこと"が完全な悪であるかのように描かれています。

 

また、レーシャの職場ではこんなシーンもありました。

 

とある男性がレートを落とし、

職場の同僚は彼に関わらないようになったのです。

主人公のレーシャは根はいい人なので

彼の作ったスムージーを受け取りました。

しかし、彼女の同僚はレートの低い彼と接触を持った

彼女に対してまるで法でも侵したかのような

まなざしを向けます。

 

その反応を見て彼女は彼らに言い訳をしますが、

このシーンも彼女の中の本当の自分と今の自分との乖離、

また彼女の他者依存な行動原則が見えてきます。

 

その後、彼女は引っ越しをするために内見をしに行きました。

しかし、担当者には無常にも「お客様のレートでは割引を受けられませんね」

と言われ、彼女はここでも"レートの大切さ"を再認識するのでした。

入居に必要なレートは4.5で、その時点での彼女のレートは4.2でした。

 

レートの重要性を認識した彼女は、

レートを向上させるためのコンサル会社に行きました。

担当者いわく、

「レートを0.3上げるためにはより高レートの人々の交流する必要性がある」

とのことで、目安となるレートアップの実現期間は約半年と宣告されます。

しかし、レーシャは出来るだけ早く、それも現在の家を出るまでの期間でレートアップ
(作品中には描かれていませんでしたが、その月の月末まで?)

を試みることになります。

 

レーシャは以前にも増してご近所に挨拶をし、

カフェに通って他人のレート上げに協力し、

エレベーターで毎日のように顔を合わせる婦人にも愛想を振りまきました。

その途中、カフェで職場でレートが低かったアントンと鉢合わせ、

「レートが低いとカフェに入れずレートを挽回できない、助けてくれ!」

と懇願されますが、自身のレートの低下を恐れた彼女は彼を無視します。

この際に彼からレートを下げられ、そして必死に愛想を振りまいていた

婦人からもレートを下げられたして、何ともならない現状に

レーシャは不満を募らせます。

 

職場でレート上げのための投稿内容について考えていた彼女は、

旧友であり、レートが4.5以上のナオミが昔作ってくれた"雑巾人形"

の写真を投稿することにしました。

(なぜ日本人とのハーフ?設定なのかは不明笑)

 

すると今まで連絡の途絶えていた彼女から電話がきます。

 

「私、今度イケメンの彼と結婚するからスピーチをお願いできる?」

 

何とも嫌な感じで、なぜレーシャにスピーチをお願いしたのかがわかりませんが、

推察するに、自分の現状を羨ましがる人々を尻目に幸せを噛みしめたかったのか。

その証拠に、他の人から連絡が来るとすぐに彼女との電話を切断し、

まるで彼女のことなんて気にも留めていない様子でした。

しかし、ナオミのことが好きで、尚且つ自分自身のレート向上に繋がると

感じた彼女は結婚式でスピーチをすることを快諾します。

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豪邸にイケメンの彼氏、何でも手に入れている旧友ナオミ

この電話の様子を近くで聞いていた弟はこのことに猛反対

 

「姉さんはあいつが学校で姉さんのことを虐めたことを覚えてないのか!」

 

その後二人は口論になります。

 

弟は彼女のことを思って、

「どうせ彼女は姉さんのことを晒し物にして嘲笑いたいだけだ!」

「もう元の姉さんに戻ってくれよ!姉さんがこのレーティングに固執する限り、

 姉さんは永遠に苦しむことになる。姉さんの目指している未来に待っているのは

 "偽善の笑顔"と"建前だけの世界だ。いい加減目を覚ましてくれよ!」

 

おそらく弟のこの発言は図星だったのでしょう。

 

彼女はムキになって、

「あなたには私がどんな気持ちで頑張っているのかわからないでしょうね。」

「だってあなたのレートは3.4の糞野郎、私は4.2なのよ!」

「彼女たち(ナオミや他の高レート者)の人生がいいに決まっているじゃない!」

と弟のことをバッサリと切り捨てます。

 

その場でレーシャは弟と喧嘩別れし、急いで飛行場に向かいました。

 

しかし、道中で弟からレートを下げられ、

偶然ぶつかってしまった通行人にもレートを下げられ、

なおかつタクシー運転手にもレートを下げられた彼女は

4.2未満のレートになってしまいました。

 

たかがレートだと思うかもしれませんが、

この世界ではそれが社会における様々なサービスや人々の態度を決定してしまいます。

 

空港についた彼女は受付で

「レート4.2未満の方の搭乗は許可できません」と

空港まで来たのに搭乗を拒否されてしまいます。

それに怒った彼女は思わず汚い言葉で罵ってしまいます。

するとスタッフは警備員を呼んで彼女に"罰則"として

彼女のレートを半分にし、マイナスの評価を1日間二倍にする

という厳しい処置が取られます。

印象的だったのが、列に並んでいた客の反応で、

彼らは決して彼女とコミュニケーションをとりませんが、

彼女の言動を見て彼女を評価します。

 

仕方が無く車で移動することになった彼女は、

レンタカー屋でも現実を思い知らされることに。

なんと「レート4.0以上」と「それ未満」のレーンがあり、

また同じレーンでもレートによって借りられる車のモデルが変わる仕様。

 

もちろんレートが大幅に下がっている彼女に提案されたのは

めっちゃおんぼろでいつその車が道を走っていたのかもわからないような車でした。

 

選択肢の無い彼女はその車で結婚式場に向かいますが、

不幸なことに途中で"充電切れ"’(この世界では全て電気自動車)。

充電スタンドで充電を試みますが、

誰も彼女の車の充電に対応したプラグを持っていませんでした。

(何という不幸の連鎖笑)

 

仕方がなく徒歩でヒッチハイクを試みるも、

レートが低い彼女を乗せる車が現れないどころか、

彼女のレートを下げていきます。

(これはおそらくただの憂さ晴らしじゃないでしょうか。)

 

そんな時レートの恐ろしく低い

スーザンという年配のダンプの運転手が救いの手を差し伸べます。

「困ってるようだね。乗りな!」→私:「かっけー。惚れるー。」

 

とはいえ、レートの恐ろしく低い相手だったので、

内心喜びつつも、不審に思って一度は提案を断るレーシャ。

しかし、背に腹は代えられないと乗車させてもらうことに。

Nosedive' and liberation - Rahul Dandekar - Medium

 

車内ではスーザンが昔今のレーシャのようにレートに固執していたこと。

しかし、レートは自分の夫の人生を助けてくれなかったことから、

自暴自棄になってレートとは無縁の生活を始めたことなどを話しました。

 

「こんなレートで世間は私のことを不幸な人だと揶揄するかもしれないが、

 私はそうは思わない。正直な言葉や態度で人に接することが出来る今が

 一番幸せだと思うよ。」と語る。

 

レーシャは「あなたは一度全てを手に入れたからそう思うのよ。」と反論。

しかし、スーザンから「あなたは一体何が欲しいのか?」と問われると、

「わからないわ。ただ・・・何となく憧れるし、それが私の理想なのよ。」

この受け答えがこの物語の核心であり、最も重要な問題提起だと思いました。

 

つまり、この世界では皆(ただし弟やスーザンのような人々も少なからず存在)が

レーティングシステムに固執しているが、具体的に"何を"求めているのかを

当の本人たちも忘れているのか、そもそも"目的"なんてどこにも存在しないのです。

しかし、この世界ではレートによって物質的な豊かさや杓子定規の"幸せ"が保障

されている。

 

作中の登場人物は本質的には何も変わらない。

 

人は皆"幸福"を求める権利があります。

ただ、人それぞれ"幸福"の持つ意味合いは異なるし、

それを見つけるのにはとても時間が掛かる。

ただ、誰しも自分の生活を良くしたいと思うし、

既に良い生活を送っているのならそれを維持したいと思うのが本能です。

この誰もが持つこの本能を保障するのが作中の"レーティングシステム"であり、

人々はそれによって生み出される"幸福の理想形"を自分の幸福だと錯覚することで、

自分自身を欺いているのではないでしょうか。

 

その後スーザンは結婚式場のある街までレーシャを送り、

レーシャは結婚式場へと向かいます。

しかし、その道中でナオミから電話が掛かってきます。

今のあなたのレートでは式場に入れることが出来ない。」

「早く家に帰って頂戴!」などと言われる始末。

こうなったら意地でも式場に辿り着いてやると、

式場に向かいますが至る所に検問所があり、レートの低い人は通過できません。

仕方がなく車を乗り捨てたレーシャは倒れながら、

それこそ泥だらけになりながら式場に到着。

 

式場では既に挙式が始まっていましたが、

そんな所に泥だらけのレーシャが乱入し、

自分が用意してきたスピーチとナオミとの思い出について語る。

スピーチ上でナオミが彼女と仲良しでずっと一緒に居たが、

あるきっかけからナオミが彼女を虐めることになったことなど、

普段なら口に出さないような汚い口調でナオミを罵ります。

 

その後警備員に追い出されますが、最後の最後までレーシャは

「ナオミ、あなたのことを愛している。」と大声で叫びながらその場面が終わります。

本当にレーシャがナオミのことを好きだったのかははっきりしませんが、

職場にも彼女との思い出の"雑巾人形"を持参し飾っていたことから、

100%彼女との再会を自分のレートや評価のために利用するつもりだったとは

考えにくいと思います。

 

おそらくレーシャにとってのナオミは永遠の憧れであり、憎しみの対象だった。

レーティングシステムの行き着く先はナオミのような人生であり、

彼女も彼女の人生を目指していたが結局はそこ辿り着けなかった。

 

しかし、レーシャもナオミも、もし近しい人間が亡くなり、

レーティングシステムが自分のたちの人生にとって

何の意味なかったと自覚する時が来たら、

この二人も昔のように純粋に自分たちの意見で向き合える日がくるのかもしれません。

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挙式に乱入しスピーチをするレーシャ

最後の場面では、

拘置場で対面した男性とひたすら罵倒し合っていました。

私の目には罵り合っている彼らの姿こそが彼らの本当の姿であり、

表現したくても出来なかったことを開放しているように見えました。

 

*まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

テクノロジーの発展が私たちの生活にどう影響を及ぼすのか。

また、描かれていた状況は今の社会にも十分対応する問題ばかりだったと思います。

例えば、インスタグラムやツイッターフェイスブックなどのSNSを利用していると、

「いいね」の数で自分や他人の投稿の良し悪しを判断したり、

「いいね」獲得するためにやりたくも無いことをしてしまいませんか?

こうした状況は全て"他人依存の自己肯定"であり、

今作品におけるレーシャと同じような心理的な状況に陥っていると思います。

「まだ」こうしたSNSの影響はネット上だけで完結し、

実生活にはそこまで影響力はないでしょう。

 

しかし、昨今のコロナウイルスの蔓延は確実に自国主体の全体主義を加速させ、

近い将来国民の行動を常に国が監視し、管理する時代が来ると思います。

実際にロシアでは国民にチップを埋め込んで行動を監視する社会を

プーチンを始め側近の人々が推奨し始めています。。。

その前段階としてのSNSの普及は人々に他人への評価(いいねボタンによる他者判断)に

対する人々の抵抗感を無くし、もし作中と同じようなレーティングシステムによる管理

が導入されても抵抗が無いように私たちは教育されているのではないでしょうか。

 

今作品を鑑賞して、近い将来訪れるであろう"管理社会"の可能性を見た気がしました。

 

次回のブログに続く。

 

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