ロシア生活ーРусская жизньー

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中央アジア旅行記ーキルギス・タジクスタンー

 皆さんこんにちは!

 

ロシア在住の大学院生兼ブロガーのkazuです

 

前回のブログでは、

いよいよ中央アジアに突入し、

紆余曲折ありながらキルギスに到着した所まで書いてみました。

 

キルギスの首都"ビシュケク"で1週間程過ごした後、

宿で知り合った日本人と一緒にタジクスタンのビザを取得し、

同時にパミール高原に入るための許可証も取得しました。

(許可証自体は10ドル程度の費用と一週間の待ち時間)※17年8月時点

 

パミール高原・・・平均標高5000mの山岳地帯。

         ごく最近一帯がツーリストに開放され、

         サイクリングロードとして外国人の間で人気。

 

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見渡す限りの大自然

 

まずはキルギス第二の都市"オシュ"に移動し、

宿でツアーを組むことになりました。

 

宿では日本語が話せる香港人バックパッカーのユニと

スウェーデン人のイルドスと一緒にパミール高原へ向かいました。

 

ツアーは宿の手配したドライバーと車のみ。

(一週間の日程で500ドルくらい)

自分で手配する場合はもっと高くなります。

 

*ツアー初日

初日はオシュから車で5時間ほどの場所にある

山合いの場所で宿泊しました。

宿泊はユルタで、夏場とはいえど、

朝晩には氷点下まで冷え込みます。

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移動式住居"ユルタ"

そんな環境の中で、

ユルタの住人がチップを請求してきたり、

固いパンや冷えた料理した提供されないので、

正直初日からオシュに帰りたくなってしまいました。

ただ、景色は絶景だったし、3000m級の山の上で

生活する機会もまず無いので笑、ある程度満足はしてました。

(こんな経験で満足してしまうバックパッカーの鏡。笑)

 

*ツアー二日目

 

二日目からはいよいよタジキスタンに入国です。

イミグレでの査証の際に、タジキスタンからキルギス

自転車で出国しようとしている人たちと会いました。

いわく、ここで何時間も出国を試みるも、

イミグレの人たちがチップをゆすって一歩も引かないようでした。

 

国境の段階で既に4000m級の高山地帯だったので、

私たち日本人組は高山病寸前でもうフラフラ。。。

そんな環境下でも不正に立ち向かうヨーロッパの

サイクリストは素晴らしい!

 

けど、その状況で100ドル、200ドルがそんなに重要?笑

 

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赤線内がパミール高原

そして、その日のうちにパミール高原で一番大きい街である

"ムルゴーブ“という街に到着し、一晩中ゆっくりしました。

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街で会った人懐っこい子供たち


*ツアー三日目

 

三日目からは本格的なツアーの開始で、

この日はトレッキングツアーの予定でした。

 

正直、行き先だけでツアー参加を決めた私は、

このツアープランを聞いてこう思いました。

 

「まともなツアーガイドもいない場所で、

 しかも高山地帯をトレッキングって危険すぎないか?」

 

しかし、参加してしまったものはしょうがない。

お金を払ってしまった以上参加する他あるまい。

 

ただ、この日は日本人の同行者は高山病のためダウン。

 

仕方なく三人で山に行くことになりました。

 

 

現地にいくと「トレッキングコース」とは名ばかりの、

見渡す限りの岩山で雑草や動物すらも皆無な環境でした。

 

ますます不安に駆られた自分は運転手に思わず尋ねました。

 

私「本当に指示通りに進んだら問題無いんだよね?」

運転手「俺は上からの指示に従っているだけだ。

    大きな岩を見つけたらとにかく左に登ればいい」との返答。

 

ますます不安になってきた私でしたが、

周りの人間は何故かやる気だったので、流れにまかせ。。。

(自分をもっとしっかり持たないとですね笑)

 

ようやくトレッキングを開始したのはいいのですが、

如何せん高山病の不安がその前の日から続いており、

頭は痛いわ、道が良くわからないわで散々でした。

 

ともあれ、指定された大きな岩"らしき"ものを見つけ、

みんなで会議を開始。というんも、その場所から道らしき道が

見当たらなかったからです。

 

とりあずみんなで言われた通りに岩の左の方を

歩いて、というよりクライミングをして、1時間後に山頂に到着。

しかし、隅から隅まで見渡せど一面の山脈と生気のない自然が横たわっており、

ゴールとなるばき"街"らしきものはどこにも見当たりません。

 

そこで再びみんなと座談会議。

 

その結果、みんなの意見は水源らしきものがある方角に進むことで一致。

 

 

しかし、本当の地獄はここからでした。

 

 

何とか水源の場所まで降りてみたはいいものの、

その後の"街へ続くであろう"道が皆目見当が付かない。。。

とりあず私たちは川沿いを進むことにしましたが、

行けど行けど何も見つからないどころか、

動物や植物すらも無くまさに"絶望"しました。

 

その後何時間ぐらい歩いたでしょうか。

 

行けど行けど景色も変わらず、

高山病の症状が悪化していくこの状況。

 

後にも先にもこんな体験はありません。

 

こんな生死の瀬戸際に立たされている時、

良くいわれるのは"記憶の走馬灯"ですよね。

 

この時の私もこれと似たような体験をしました。

 

この時に思い出したのは基本的に自分の後悔の記憶でした。

「あの時のにこうしておけば良かったなあ。」とか、

「あの時にどうしていればうまくいったのか。」とか。

 

何て言うべきでしょうか。

やるべきだったけどそれをやらなかった後悔とでもいいましょうか。。。

 

ともかくその時の自分はそんな絶望的な状況下で、

そんなことを考えてきました。

 

山で野宿=死

 

を連想していた私は、とにかく必死で山を下りました。

そして約六時間後、私たちはようやく民家を見つけ、

彼らにことの経緯を身振り手振りで伝え、

なんと彼らが今日発のバスがあることを伝えてくれました。

 

なんという幸運。なんといういい人たち!

 

この瞬間ほど自分の生来ている実感を感じたことはありません(笑)

ごめんなさい。なんだか中二病みたいな表現になってしまいましたが汗

その時のことを思い返すと今でも何だか苦しくなります。。。

 

その後、街に帰った私たちは運転手と合流し、

ことの経緯を説明すると、どうやら運転手も困っていた様子。

 

「俺もお前たちを3-4時間死に物狂いで探したんだ!」

 

と、とある写真を見せながら一言。

 

「ほら、見ろ!俺の車のタイヤもパンクしちまった。」

「だから追加で料金を貰うぞ。お前たちのせいだからな。」

みたいな調子で言うもんだから私も流石にブチ切れようと思った所、

香港人スウェーデン人が私のことを諫めて、

「こんな所でもめたらここから帰ることも出来ないし、

 そもそも今回の事件の原因は旅行会社にあって、運転手には非が無い。」と。

確かにそうだよなあと思い直し、対応を彼らに任せることに。

 

結局私たちは100ドルずつ運転手に支払い、

この事態はおさまりましたが、何とも後味の悪いトレッキングツアーになりました。

 

その後、街に帰ると至る所で結婚式が催され、

近くをウロチョロしていると容赦なく客に招かれ、

御馳走を振舞ってくれたり、イベントに参加させてくれました。

(基本的にはダンスや晩さん会)

 

しかも、そんな結婚式がそこらかしこであるもんだから、

知らぬ間に共通の友人が出来たりして、

山での遭難事故未遂があったとは思えないような平穏な一日となりました。

 

そんな訳でツアーの大半が終了し、

残りの日程は他のより小さな街に滞在し、

ゆったりと過ごしました。

 

これといって感想や出来事も無いので割愛!(笑)

 

次回のブログに続きます。

 

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